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2020.12 追加

「令和3年版 年賀本」

 人生史サークル黄櫨の会

 

 

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 木枯らしが吹き始める頃になると喪中欠礼の知らせと同時に年賀状打ち止めの挨拶が届く。ペンを執ることさえままならなくなった身なら仕方ないが喜寿にも満たない人から受け取ると何となく残念な気がする。
 年々親しい人が減り交友の巾が狭くなっていく中自分から社会との接点を狭める必要はあるまい。この年賀本発刊の主旨は私たちにとって一大イベントであるお正月に素直な心で一年の計を立てその決意を文字にして特別大事な人に送るものである。
 30名の執筆者の住所を一覧すると全国広範囲に及んでいる。内容から察するに年齢層も多彩である。かなりの人が新型コロナウイルスに触れているのはコロナ禍がいかにドラスティックで国民の日常生活に大きな影響を与えているか想像される。
 劈頭安部龍太郎、麻生渡両氏の原稿が日本のお正月の荘厳な雰囲気に花をそえている。誰しもが心改まり自分の来し方行く末に思いをめぐらす新年に心静かに一読したい良書である。

2020.12 追加

「黄櫨 第69号」

 人生史サークル黄櫨の会

 

 

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 長寿社会の到来万歳だが人生百年をいかに心身共に健やかに生きるかは私たちに課された永遠の課題となった。八女市に事務局を置く人生史サークル黄櫨(こうろ)の会はこの長い第2の人生を更に色鮮やかで実りあるものにしようと学び、書き、語ることをモットーに生涯学習を続けている。
 発会23年、年3回発行する会誌黄櫨は令和2年12月で69号を数える。人生は一度限り、引き返すことの出来ない片道切符である。たかだか100年で経験することといえば知れている。それを補うのが本である。黄櫨69号に収録されている30名の原稿を読むことによって30人の人生の貴重な一コマを一度にバーチャル体験することができる。それこそが読書の効用であり醍醐味である。69号までのバックナンバーには大正、昭和、平成という時代を生き抜いた人々の膨大な歴史の証言が詰まっている宝物であろう。

2020.12 解説追加

「歌文集 わたしの青春」

 著者 平島 壽美江

 

 

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 「歳月に根のからみあふ風蘭の株分け挺摺りコロナ忘るる」著者94歳の時詠んだ歌である。
 コロナ禍毎月楽しみにしていた歌会を始め一切の行事が取り止めとなった。そこで退屈しのぎに子や孫たちに戦時中の経験を書き残そうと思い立ったものである。教師を目指して福岡市の福岡第一師範学校に在学していた昭和20年。戦争末期の学び舎は学問の場とはおよそかけ離れた過酷な体験をする青春時代であった。前線の兵士と同じように銃後の女、子どもにとっても日夜を問わず空襲の下を命がけで逃げまどう恐ろしいものであった。最後にわれ老いぬ言いたきことの言へる世に叫びてゆかむ「戦争は嫌」。戦後75年、戦争を知らない若者たちに著者の遺言ともなるべきこの歌文集をかみしめてもらえば老婆の辛い思い出も意味あるものになると述べている。

2020.12 解説追加

「筑紫国造磐井の反乱は本当に反乱か」

 著者 城戸 一男

 

 

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 著者は県立高校の校長、地元の教育長を勤めた教育のエキスパートである。そんな経歴を持つ著者が10年間慶應義塾大学の文学部歴史学科で学び苦労して書き上げた卒業論文である。来年2月の卒業試験に合格すれば晴れて卒業となる。絶えず自分に課題を与え探求する姿を見ると人間は学ぶことに終りはないことを教えられる。頁をめくると何とも難解だが研究者にとっては貴重な資料であろうことは推察できる。古墳時代最大の内乱といわれる大和政権の全国統一と外交の一元化の戦いに筑紫の君磐井がやむにやまれぬ戦いをせざる得なかった。もし磐井が勝利しておれば北九州を支配する磐井の国が中心となり八女が日本の都として繁栄したであろう。磐井の墓とされる巨大な前方後円墳を前にすると古代の夢とロマンは尽きない。
著者が選んだ研究のタイトル「筑紫国造磐井の反乱は本当に反乱か」は当時の朝鮮半島をめぐる大和と磐井の複雑な関係に起因した王権間の覆権争いであり反乱ではなかったと確信している。

2020.12 解説追加

「松尾」

 著者 松木 房子

 

 

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 著者が自らの命と引き替えに出した本である。松木さんは発刊の翌日逝去。享年76歳。「松尾」は福岡県南部熊本県と接する立花町(合併して現在八女市)にある山深の集落である(昭和48年には119戸600名余が暮らしていた)
 著者の生まれた昭和18年といえば太平洋戦争の雲行きが少しずつ怪しくなる頃だが、清流と自然の恵み豊かな環境な中強い絆で結ばれた住民たちは静かな日々を過ごしていた。
 平成13年長い都会生活を終えて帰郷した松木さんが目にしたのは過疎化が進み限界集落が真実味を帯びる切迫したものだった。以来18年、地域、関係者の協力を得て緻密な調査を続けた集大成である。神が松木さんにもう少し体力と時間の余裕を与えたなら更に掘り下げた分析なり提言が期待できたろうに残念である。
 松木さんは発刊時の謝辞に
「この本発刊の最大の目的は衰退する集落の記録ではありません。松尾に生まれた人、関わりのある人たちが『自分の村に誇りを持ち650年という歴史の中で培った人情、思いやりの精神を生かして再び生き生きとした村づくりのきっかけ』になるものです」と述べている。
 これこそが著者が後に続く人たちに訴えたかったものである。

 

 

「地域に展く緩和ケア」

 監修 原口 勝 みどりの杜病院 院長

 

 

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 人生百年時代の到来は目出度いが、大事なのは長寿、長命の中身。 いかに命を紡かである。
 どんなに健康自慢の人でもいつかは人の助けが必要になる。 日本人の中にはホスピスに対して手の施しようのなくなった人が最後に送られる所という暗いイメージを先入観として持っている人が多い。この本を一読、目からうろこを落とした思いである。ホスピスの負のイメージが払拭された。
 福岡県南八女市、高齢化が進み限界集落も増え、消滅自治体入りさえ予測される小さな町で、がん患者に対する先進的な緩和ケア対策に取り組む、みどりの杜病院10年の歩みである。
医師、スタッフが力を合わせて患者個々の尊厳を大切にしつつ命の灯を完全燃焼させるために戦ってきた貴重な実践録となっている。
 避けようのない人生のエンディングにどう向き合えばいいのか、その心構えを学習する手がかりとなるものである。

 

「わが人生行路」

 著者 小川 哲男

 

 

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 著者は戦争の時代を体験された世代、生きるために幾多の辛酸をなめる苦難を乗り越えた人である。それにしても昔のことをよく覚えておられる。良いことも失敗も自慢や誇張なく淡々と綴られている。
 大正生まれの私の父も新天地を求めてツテを頼って朝鮮に渡っている。厳寒の北鮮での思い出などを話していた。当時の日本は欧米諸国に伍する国力を誇り若者も海外に雄飛する大きな夢と希望を抱いていた時代である。若い時は船乗りとして日本全国を回り、陸に上がってからはモーレツサラリーマンとして相撲部で鍛えた馬力で次々に成果を上げていった。福岡県みやま市のたこ焼き八ちゃん堂の項では、私も創業者ご夫妻と一度食事をしたご縁もあり懐かしく読ませて頂いた。
 著者の88年の歩みは常に人との縁を大切にされ、悪いことをしたら針の山に登らされるという幼い頃の祖母の教えが原点になっている。著者が言う20代は力で、30代は頭で、40代は人格で、60代は顔で稼ぐを、身をもって示された山あり谷ありの人生に敬意を表したい。

 

「20歳で旅立った 渡辺幸一の思い出」

 著者 渡辺 義幸

 

 

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 人は悲しみに打ちひしがれた時どうしたら再起できるか。著者は最愛の息子幸一君を不慮の自宅火災で亡くした。一時は茫然自失、奥さんと涙するだけの日々だったという。半年ほど経った頃、残された僅かな思い出の写真や遺品を整理しながら、それらを一冊の本にまとめることを思い立ち、生きる一筋の明かりを見出した。
 結婚12年目60歳にして初めて授かった宝が、友人たちと成人式を祝った8日後に旅立った。前途洋々、大きな可能性を秘めた青年が生きた20年の証である。上陽町で生まれ育った幸一君は、多くの友人たちに恵まれ伸び伸びと育ち、高校では文芸部に所属し、大学では吹奏楽部に入部した。テナーサックスを担当、大学生活を謳歌していた。本にはサークルの演奏会の写真や高校文芸部時代の作品の一部も収録されている。
 この本を手にとってもらう人がいる限り、幸一はどこかで生き続けている。幸一と同年代の人たちが成長される姿を、息子に重ねて夢を持つことができると結ばれている。1月23日には3回忌を迎える。

 

「八十年わが人生 木屋芳友園の歩み」

 著者  木屋 宏

 

 

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 県道52号線を上陽町から星野村へ東上、清流星野川、蛇渕橋のたもとにひときわ目をひく瀟洒な建物がこの本の筆者 木屋宏さんの木屋芳友園である。
 後継者の問題も、売り家と唐様で書く三代目の心配も木屋さんには無縁のようである。
 筆者は戦争の時代に幼年期を過ごし、敗戦の混乱からやがて復興そして高度成長期をひと知れぬ苦労と努力を重ね、逞しく生き抜いた男の人生ドラマである。
 父親を商売の師と仰ぎ両親への孝養を欠かさず、80年の間にご縁を頂いた全ての人に対する感謝の気持ちが頁の端々に感じられる 艱難辛苦を乗り越えた人のみが書ける八十年男の人生史である。

 

「自分史 母国・祖国」

 著者 吉泉 恒徳

 

 

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 昭和初期、北満の大陸を転々と移住した一人の日本人少年の目は、満人・露人との暖かい心の交流や、日本軍人に対する明暗を、純真な感受性で的確にとらえ、その緻密や記憶力を生かした描写が克明に活かされた点に、まず驚かされる。
 その少年が帰国した内地の自然や風土、尋常ならぬ生活は、繊細にして鋭敏・感動的な心情の特ち主に育て上げた。
 その詩情を、短歌・俳句の創作に今日まで75年間継続、まさに継続は力なりである。
 著者は12月に87歳を迎える。この本は原稿用紙700枚A5判306頁に及ぶ大作である。手書き原稿を4校することさえ厭わない集中力に感服する。正に活字人間である。筆者の長い教職生活のスタートから16年間、各学校で担任した生徒全員のエピソードが添えられているがその記憶力は驚異的である。戦後復興から高度経済成長に突っ走る時代の学校生活が活写されている。こんなに教育熱心な先生に教わった子どもたちは幸せである。氏はすでに自分史下巻の上梓に意欲を示しておられる。成就する日が心待ちされる。

 

「夢じゃない 百歳の同窓会」

 著者 林 栄一

 

 

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 「人生100年時代」
    高齢世代の設計図
      林  榮 一

 40年近くを整形外科医として地域医療最前線で働き、傍ら医師会運営に携わってきました。後継者に後を託して介護施設の嘱託医として既に25年になります。 
 今、これまで経験した事のない高齢社会を迎えて人生90年はおろか100歳も目前です。「長命と長寿」は意味合いがまるで違います。高齢社会には光があれば見逃すことのできない影の部分もあります。
 「クラッシー」に健康コラムを書き始め7年になります。当初はお年寄りの応援になるようにとの思いでしたが今や高齢者を取り巻く周辺状況は急速に大きく様変わりしました。
 この間、書き留めた70編ほどの「健康コラム」を纏めてみました。毎日を懸命に生きる人達の呟きを見たり聞いたりして、齢を加えるとはどんなことかを考え書いてきたものですが、少しリアルに過ぎたとのご批判があるかも知れません。長寿社会の活き方を理解して頂きたいと校正だけでも半年の日数を要しました。
 
 


 どう生きていけば良いのか、87歳の私自身も暗中模索ですが、一つだけ確信を持って言える事は「折角神様から授かった寿命を目いっぱい生きて、最後まで自分が主役の人生を全うしたい」ということです。この本をお読みになり少しでもそんな思いを感じて頂ければ嬉しい限りです。
 今まさに高齢社会の真っただ中を生きる方々にとって細やかな「人生の設計図」になることを切望しています。
(医療法人林医院 理事長)


  座右の書としてお手元に
      東  邦 次 郎

 私は文字に命を吹き込むことを生き甲斐に半世紀以上印刷に従事してきました。
 7年前、この本の著者林医師に当社が企画する月刊情報紙「クラッシー」 に、高齢社会を生き抜くヒントになるような原稿を書いてくださいとお願いしたところ、以来41回に亘り「健康万歳」のテーマで執筆して頂きました。
 このたびその原稿を一部加筆修正の上、新たな原稿を加えて出版されました。
 本書は71篇のテーマ毎に短い文章にまとめられており、気になる所から気軽に読み進むことができます。
 豊かな社会に見る光と影、長寿社会の現実、家族制度の崩壊、親子の絆と看取り、医療や介護現場の光景など私たちの身近な日々の営みを医師の目を通して飾ることなく綴られています。
 高齢の親を持つ者にとっては良き手引き書となり、後期高齢期を生きるご同輩には転ばぬ先の杖となるでしょう。
 人生の最終コーナーを上手に回る知恵を与えてくれる一冊であると信じてご一読されるようお奨めします。
(株式会社東兄弟 会長)

 

「帰り来て 坂田力 自選短歌集」

 著者 稲光 にしき

 

 

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 村田喜代子氏の序文が光る。偉い人が義理で書くまえがきは巧言令色、褒め言葉の羅列で一体この本を読んでいるのかと疑うほど読み手の心に響かないことが多い。 村田氏はこの本の出版の意図を理解し父坂田力の人となりを正確に把握した上で序文を書かれたのであろう。坂田父、子に対する思いやりがにじみ出ている。勿論村田氏の「文章講座」で磨いた筆者の表現力はさすがである。生前「いつか自分の歌集を上梓したい」と言っていた父の願いを54年間忘れず持ち続けた情念の深さに心打たれる。収録された歌は日々の暮らしの中で市井の人や風景を詠んだ作品が多い。半世紀経った今も当時の家並み、空気、雑踏が筆者にはあたかも子守り唄のようなリズムをもって聞こえているのではないだろうか。
 更に筆者は郷土雑誌『黄櫨』に「故郷八女の思い出」と題して十年に亘って連載をしている。自分を育ててくれた両親と18歳までの多感な時期を過ごした故郷・八女への畏敬の念を60年以上経過してもなお持ち続けてきた少女のごとき純粋さに敬意を表したい。単なる遺歌・遺稿集ではなく筆者のエッセイ集としても読み応えのある一冊である。