暮らしと方言の色揚げ内山一兄・郷田敏男 |
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当時、幼児はたいてい下帯を着けないで、
下の方はウッポンポン(さえぎる物がなくて丸見え)だったのです。
兵児・湯文字を着けはじめることは、謂わば男女のけじめをつける行事でもあり、
これから晴れて小若衆に入る証でもあったのです。
金時(公時)や桃太郎の絵を染め出した豪華な兵児を贈る家もあったそうです。
兵児・湯文字を着けた子供は、両親に連れられて氏神様に参り、無病息災を祈願します。
遠く高良神社まで参詣する家もありました。
帰ってくると、祝いの座敷が開かれるのです。
「なお喜びの盃の・・・」(「春栄」)と、謡三献からはじまる祝着の宴は、
ほんと梅雨間ののどかな一齣でした。
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