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暮らしと方言の色揚げ内山一兄・郷田敏男 |
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古来、人々が天体を畏敬していたことはすでに触れました。
悠久・無限・不滅に憧れ、神秘・偉大なものに引かれるのは、
生滅不定の人間の性であろうかと思います。
今でも、太陽を拝み月に祈る老人は少なくありません。
太陽と月は絶対であったのです。
幼いころ、月食の晩に老人から聞いた話を思い出します。
「大蛇ガ 人間ドンバ ミンナ呑ーッシマウ チューケンデ、
マンマンシャンノ『ソノ代ワリ 俺バ呑ーックレ』デ、
頼マシャッタゲナタイ・・・。
『ソンナ ヨシ。オ前バ呑ム』チューテ ノーダゲナリャ 腹ン中ン アーツナッテ
タギッテキタケン 『アッツァ アッツァ』チューテ
又 口カラ吐キデータゲナ。見ョーッテンノ。
モーヤンガテ 又 マンマンシャンノ 出テコラッシャルケンデ・・・」。
人間の身代わりに大蛇が月を呑み、
そして予言のとおり腹が焼けて吐き出し、
また月が出るのです。
荒唐無稽の話ではありますが、
やはり自然への畏敬はこうして育まれていくのかも知れませぬ。
ちなみに、月の運行を見て日時を知り、諸事を占う女神を月読命と言い、
太陽のそれを司どる男神を日知命と言って、絶対の権威者であったのです。
後には、「日知り」が「聖」と変わっていくのです。
前語りが少々くどくなりましたので、話を三夜待ちにもどそうと思います。