暮らしと方言の色揚げ

内山一兄・郷田敏男

 
 
 
 
 
 
 

麦播きのころ3


ですが、一日だけならまだいいのです。

一枚の田くらいならどんなにきつくても知れたものです。

これが一町・二町にもなると、さすがにばてます。

二本鍬で打ち起こすなんて、とんでもありません。

このことから、農家では無理をしてでも馬を飼っていたのです。

主役の馬は、一〇人、二〇人分の仕事を引き受けていたことになるでしょう。


「田ン中バ鋤イタッチャ マーダ コリカラガ 畝作リ 土肥出シ 麦播キ ソリカラ 畝カラミデナイ・・・」

「ソーコタ。麦播キノ シマユット ホッカリショーッタナヤ」

「百姓ン仕事ァ アンマリ セータッチャ デケン。ヒヤリ ヤラニャ・・・」。


農家が一息つく旧二月、十一月の初丑・初午の祭りは、

神社の祭礼で農民の娯楽・安息の日のようになっていますが、

実は牛馬のねぎらいの祭りであったのです。

この日は、牛や馬に酒をふるまい餅や饅頭を供えて労をねぎらうのです。

牛馬こそ慰労される主なのです。骨折ってくれた者には、

牛馬にでも感謝をするという愛情の証でありましょう。

 

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