暮らしと方言の色揚げ

内山一兄・郷田敏男

 
 
 
 
 
 
 

麦播きのころ4


牛馬を飼っていなかった三反百姓のトメさんに、登場してもらうことにしましょう。

トメさんの家は紙漉きが本業で、ひまひまに農耕をする飯米農家でありました。


「私ゲニャ 田ン中バ 二反半作リョーリマシタ」

「ソン時分ナ 若カ紙漉キ女衆モ一人住ミ込ウドリマシタケン 九人ニナリマスカノー。

一年クイ扶持ャ アリマッセジヤッツロー。ソッデ ヨンドコンノ オッシャギママデシタ」。


当時でも、豊年満作でせうち(田一反に一〇俵の収穫があること)することもありました。

昔は三斗六升俵でしたから、今の升目では九俵になります。

普通作は七俵と言ったところでしょうか。

小作農はこの収量の中から半分以上も余米(年具米)に出すのです。

従って、自分の手取りになる麦作に頼らざる得なかったのです。

 

   

八女方言歳時記へ戻る

 

次項→



ページの上段へ PAGE UP