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暮らしと方言の色揚げ内山一兄・郷田敏男 |
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牛馬を飼っていなかった三反百姓のトメさんに、登場してもらうことにしましょう。
トメさんの家は紙漉きが本業で、ひまひまに農耕をする飯米農家でありました。
「私ゲニャ 田ン中バ 二反半作リョーリマシタ」
「ソン時分ナ 若カ紙漉キ女衆モ一人住ミ込ウドリマシタケン 九人ニナリマスカノー。
一年クイ扶持ャ アリマッセジヤッツロー。ソッデ ヨンドコンノ オッシャギママデシタ」。
当時でも、豊年満作でせうち(田一反に一〇俵の収穫があること)することもありました。
昔は三斗六升俵でしたから、今の升目では九俵になります。
普通作は七俵と言ったところでしょうか。
小作農はこの収量の中から半分以上も余米(年具米)に出すのです。
従って、自分の手取りになる麦作に頼らざる得なかったのです。