![]() |
暮らしと方言の色揚げ内山一兄・郷田敏男 |
|
![]() |
||
陰暦で日を繰っていた昔は、
すべての祭事が朔(ついたち)と望(もち)に
集約されていたことはすでに触れました。
さらに朔と望の中間すなわち七日ごろと二十三日あたりを押えると、
祭事のほとんどが網羅されると言っていいのです。
十月十五日には豊年満作の願成就、
十二月朔日には村祭りがやってきます。
旧暦の明治五年(一八七二)十二月三日が
新暦の同六年(一八七三)一月一日の元日と切り替わりました。
ですが、
農村の祭礼をただ単に同月同日の太陽暦に切り替えただけでは、
不都合が多かったのです。
祭礼は農作業の繁閑、根付け取り上げに合わせて、
後日日取りを切り替えた気配が強いのです。
「オドンガ 小若者ノ時マジャ マーダ 盆ト正月ァ 旧ジャッタタイ」
「ソーソー。ハグリ暦ダケハ 早ヨカラ 新ジャッタバッテ
祭リ祇園モ マーダ 旧デアリョッツロガ・・・」。
まあ、それはともかく、願成就のことについて話を聞きましょう。