暮らしと方言の色揚げ

内山一兄・郷田敏男

 
 
 
 
 
 
 

八朔さん4


かつての農村では、年がら年じゅう働きずくめだったのです。

雨さえ落ちねば外に出て鍬を振るい、

振り出せば納屋で縄をない筵を織り、

ひまをみては土方作業にまで出て稼いだものです。

生活が苦しく、個人の趣味もありません。

むしろ運命共同体では個人の楽しみはさておき、

近所近在の共同の催しにはなけなしの散財をして和して行ったのです。


四季折々に巡ってくるよど−これが何よりの息抜き・だりやみ・楽しみでもありました。

もしそれがよその部落のよどであっても、

親類・ひっぱり・付き合い仲間で呼びつ呼ばれつ、

しばしの憩いを存分に楽しんだのです。

「オモ−サン ヨバレタ」と、

一杯きげんで土産を手に千鳥足で帰っていったものです。


ここで替わって、ウメさん・トメさんに登場してもらいます。


「ヨドン時ャ 女衆ャ 却ッテ 忙シカッタバノ。お客賄デノヤ」

「一家内ノオ客ノ ドヤ押セデ 泊リガケ ヨド参リ 来ョ−ラシャッタケンノヤ」

「ソ−ソ−。粗方 後仕舞シテ シマエガタン 細工花火ドン 見ニイクグレ ジャッタタイノ−」。

 

   

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