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暮らしと方言の色揚げ内山一兄・郷田敏男 |
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人煙の希な山村僻地、山を背に前面に沃野の山麓の集落、
四周ことごとく穀倉地帯の村落、狭い海辺に寄り沿う漁村など、
そこにはそれぞれの環境に応じ、自然の恵みを巧みに享受する営みが長く続いていました。
なりわいも環境に順応していたと言ってもいいと思います。
八女市でも東部の山つきの村落では、山の恵みを享受していました。
山の幸である「なば山あがり」のことには、すでに触れました。
次に、子供でも喜んで加勢した「焚物とり」について述べておきましょう。
かつて、山は大部分が限られた大・中農か豪商の所有でありましたが、
零細農もあちこち狭いながらも山畑を耕し、
その縁に茶などを栽培して生計の一助としていました。
「山あけ」とは、地主が茸や薪など山の収穫物を一応取り尽くした後、
師走の中旬から一般にも山を解放することを言います。
そして山野の草木がようやく芽吹く三月の中旬の
「山あがり」まで、人々は取り残しの薪をせっせと集めて回るのです。
謂わば冬季三か月間の山の解禁なのです。
ただし、山あけの期間中でも、山持ち以外は切れ物の鉈・鎌などの携行は御法度だったのです。
また、山の番人がいて、山の事情には熟知しているので、
巡回しては厳しく違法を咎めました。こわい存在だったのです。