暮らしと方言の色揚げ

内山一兄・郷田敏男

 
 
 
 
 
 
 

麦播きのころ2


話が外れますが、ここで農家の牛馬のことについて触れておきましょう。


かつての農作業は、人力と畜力で維持されていました。

家畜の飼育は農家にとって大きい負担でした。

購入資金の乏しい家では、馬講などを催して求めたものです。

牛馬が主役となるのは、田植え、麦播き前の田すき、代掻き、くれ割り、

地均しやこんのうどきの荷運びぐらいで、年に延べ一か月もあったでしょうか。

その他は無為徒食なのですが、生き物ですから一食も手抜きは出来ません。

そこで、子供たちも高等科の小若衆になりますと、

馬ん食み(馬の飼料)をやることくらいは躾られていました。


「オダン コマカ時カラ 馬賄ネー ショーッタバイ」

「ソータイ。藁ト切ッテキタ畦草バ 藁切ッデ刻デナイ・・・」

「ソーソー。ソレニ 麦粕トサクズドン マゲ(杉板を曲げて作った楕円形の穀物すくい)デ掬キコーデッサイ」

「温ルカオ湯ニ 塩ドンシト掴ミ 混ゼテヤルト ソーニャ 旨カゴツシテ 飲ミョーッタナヤ」

「ソーソー。ドドンブータイ」。


牛馬も家族の一員なのです。

正月には厩の前にお供え餅も供げてもらうし、

祭り祇園などのお祝いには御馳走の余り物にもありつきます。

 

   

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