暮らしと方言の色揚げ

内山一兄・郷田敏男

 
 
 
 
 
 
 

正月どん


「暮レニャ イロイロ コーテ貰ヨッタガナイヤ・・・」


「ソータイ。縞ン股引テロン 

テクリ、足袋、下駄ンゴタットマデナイ」


「ソーソー。正月ニャ ソノ ハバオロシ ジャッツロガ・・・」。


そう、足首と腰を紐でくびる縞模様の股引きと、

手首をはぜでつめるてくり(筒袖の着物の一種)だったのです。


 子供が待ちわびる正月も、

今と違って昭和のはじめごろまでは

ひと月遅れの旧正月でした。


もらったはぐり暦は新暦であっても、

田舎では新正月は素通りします。


新正月は役場や学校だけで、

農家では「よか春」を迎えるために

師走のとりこみに寧日がなかったのです。


千日(せんにち)ひして(一日)の年末には

子供も手伝いに駆り立てられます。


こんの(米麦の収穫)が終わるとすぐ株切り、

牛や馬で田すき、くれ割り、そして麦を播きます。


夜なべには“ゴンゴン ピッピ”

と交替で籾すりにはりこみ(精を出す)ます。


田ん中の藁(わら)こづみ(刈り稲を積み上げたもの)を

車力で小屋に仕舞い込み、

雨の日や冬の夜の藁仕事の材料にします。


櫨ちぎりも思いのほか手間どるし、

畑の周りの楮切りもつかえています。


楮の切り株にたつ楮なば(きのこ)や

きくらげを花てぼ(竹で編んだ手かご)に採ってきて、

消し炭をおこして塩をまぶして

焼いていたことを思い出します。


目が回るほど忙しいのです。


正月どんのこらっしゃる前に、

やっとふる年の仕事をあらかた片付けて

ほっとします。


「オ前ゲニャ ヨカ正月ドンノキョーッテジャロ?」


「ナンノアンタ。キノデケラッシャッジャリ。

ホンナコテ 正月ドンバ迎ユーデツァ ヤオナカナイ」


やれやれ。

 

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