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暮らしと方言の色揚げ内山一兄・郷田敏男 |
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閉鎖的で運命共同体的色彩の濃い農村では、
その連帯を強めるために農作物の豊穣祈願あるいは
収穫感謝などの行事が四季折々に繰り返されてきたのです。
農業は最も天災に弱いものですから、自然や天神地祇に対する祈願、
すなわち豊穣・厄除けの祈念の行事が自然発生的に行われてきたわけです。
また、農業は最も労力を必要とするものですから、
一家の無事・無病息災を祈願する行事が多いのです。
年中一定の間隔で、何らかの行事が繰り返されてきました。
このことは裏返すと、働きずくめの労働に対する慰労や娯楽にもつながるものです。
粗食に甘んじ娯楽に乏しく、身体を酷使する農業労働には等
間隔くらいに一定の栄養と休息や娯楽が必然的に要求されるわけです。
祭礼は祈願とこれに伴った栄養・休養・慰安・娯楽、すなわち「だりやみ」(疲れなおし)
「ほけだし」(うさばらし)の場でもあったのです。
農事の緩急、繁閑の期を見て、区長は「よけ」の布令を回します。
かつては、これが邑の調和を保つために半強制的な威令をもって守られていました。
すなわち、正月の三日間、さなぼりとうら盆に五日、
七日正月・正月の十四日・二十日正月に各一日、
その外祇園や秋祭りなどその折々に厳格な農休日が設定されていたのです。
時によっては「明日昼から一日半のよけ」と、
今の土曜日の半休のような布令さえ出ていました。
掟を破れば異端者扱いで、よけの布令が出る前には
予定の仕事は暗くなっても片付けておかねばならなかったのです。
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