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暮らしと方言の色揚げ内山一兄・郷田敏男 |
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「チョット タマガル。ショテン 石塔バ見ット 二ツ三ッン子供ン バサロ多カナヤ」
「ソ−タイ。ミンナ 早死ショ−ッタッタイ ショッテハ・・・」。
小さい石塔に刻まれた一、二歳の幼児は流行病で逝ったのでしょう。
行年二十代の青年、そう、結核は不治の病で多くはこれで散っていきました。
享年四、五十代は一家の支柱、過労か不養生のための急逝でもあったのでしょうか。
不老・長寿は生ある者の悲願であり、希望の灯でもあったのです。
そのせいでありましょうか、生まれてからつぎつぎと
無病息災・長寿延命の願いの行事が続きます。
還暦・古希・喜寿・米寿は、それこそ人間万歳の祝いであったのです。
喜寿と米寿は字体にあやかっていますが、還暦と古希は中国からの故事来歴があります。
数えの六十一歳の還暦を「賀の祝い」とも呼びます。
この祝いは六月朔日に催します。還暦とは、
生まれた年の干支が六十一年目にもどってきますから、
もとの生まれだち(生まれたままの)
の赤子に「還る」という意味なのです。
赤子のときに着けたように、男は赤いつんのき(筒無着)
を着け、兵児をかくのです。
女は赤い肌着と湯文字をはめて、高良山に詣ります。
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