暮らしと方言の色揚げ

内山一兄・郷田敏男

 
 
 
 
 
 
 

盂蘭盆1


「オドンダン知ランバッテ 初手ハ 盆ノヨケニ

盆綱引キノ ソ−ニャ弾ミョ−ッタゲナナイヤ」

「ソ−ゲナ。大正ン初メグレマデダン

アリョ−ッツロカ 山ツキノ方ジャ・・・」

「藁バ出シ合ウテ ゲ−ナ綱バ ノ−テナイ。(なう)町内二手ニ分カレテ

ハリコ−デ(力を入れて)引キョ−ッタゲナ」。


氏神様の注連縄のような太い綱に若衆がしがみつきます。

きまりや判定のことでいつもいさかいが起こるのです。

後には学童だけの勝負になりましたが、

これも大人が口出しをして悶着が絶えないのです。

悪病退散・縁起呼び込みのこの催しも、

判定のことで喧嘩になっては却って和合を乱すと言うので、

次第に沙汰やみになっていきました。

大正の初期になると平坦部では完全に姿を消し、

山つきの小部落でわずかに命脈を保っていたようです。

古老は今でも、運動会の綱引きを「盆綱引き」と呼んでいるのです。


盆と言えば、盆踊りを思い出します。


盆踊りも消えてから久しい。昭和四、五年から終戦までは

「十五年戦争」で暗い時代でした。

遊楽気分は極力排除され、もしそれが盆踊りであっても

何かしら時勢にそぐわないような雰囲気になって、

完全に影をひそめていたのです。

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