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暮らしと方言の色揚げ内山一兄・郷田敏男 |
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ちなみに、明治三十一年の旧川崎村の調査では、
山持ちおよびこれを請けた者の松割り木生産高が二二万五千余斤(約三万七千余屯)、
雑木が約二六万斤(約四万三千余屯)、計八万余屯とあります。
価格は松割り木が百斤(六〇キログラム)一二銭で約米一升(一・八リットル)の値、
雑木の割り木が同じく一七銭になっています。
明治四十一年の旧忠見村では廃物利用に等しい落ち葉一万八千余把、
枯れ枝八千把で、価格は前者が一把四銭、後者が六銭とあります。
これを見ても、あたり一帯の雑木山や松山が自然の保安林となり、
また住民もいかに豊かな山の恵みを受けていたかが偲ばれます。
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