暮らしと方言の色揚げ

内山一兄・郷田敏男

 
 
 
 
 
 
 


生活が近代化するにつれて商品の需要が増えると、

専門店も増して次第に供給地としての役割が整ってきます。

とりわけ交通の要衝、河川の合流点などの集落が商圏の中心になり、

その後永くその役割を果たしてきました。

ここ八女の地では、星野谷の中心地北川内、黒木谷の要黒木、旧八女郡の中枢福島、

それに旧八女・三潴郡の接点で文字どおり交通の要衝羽犬塚などがこれに当たります。

そして人が集まりやすいここに、流通機構の一端として自然発生的に市が立つようになったのです。

一定の日に市が立っていて、それが地名として残っている所は全国的に数多いです。

市も場所によって農具市・魚市・陶器市・苗木市・衣類雑貨市などいろいろありますが、

八女は暮れの雑貨の市として買物客で賑わったものです。

師走の二十六日の北川内の市を皮切りに、

黒木、羽犬塚、殿の福島が二十九日に開かれていたのです。


「アタヤ 高等科ン時 ○○ノ市イタテ 黄ナカ実ノナットル

キンカンノ木ノ 欲シューシテ ノサンモンバ十銭出エテ 買ーッキタバイ」

「ソーカイ。オダン コーマカ時 カクサンニ 連レラレテ

市デ 別珍足袋ト下駄バ 買ーテ貰タコツバ マーダ覚エトルガ・・・」。

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